観音縁起

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観音縁起

今は昔、諸国に大洪水があった時、近江国高島郡の岬に大木が漂着した。村人の一人がその木の端を切り取ったところ、家が焼け、村人が多数流行病で死んだ。これは木の祟りだと言って誰も近寄らない。たまたま村に来た大和国葛木下郡の男がこれを聞き、この木を持ち帰り、十一面観音を作ろうと思ったが、木が大きくて家まで運べないので、そのままにして帰った。その後何人かを連れて行ったがそれでも運べなかったが、試しに縄をつけてひ曳いてみると軽々と曳けた。葛木下郡当麻(たいま)まで引いてきたが仏像を作るまでに至らず、男は死に、木はそのままで八十余年たった。そのあと村に流行病が発生し、木のせいだとして、役人がかの男の子供にあたる宮丸に捨てさせた。宮丸は村人と共に敷上郡長谷川の岸に捨てた。二十年たち、この話を徳道という僧が聞き、自分が像を作ろうと今の長谷の地に曳いて行ったが、一人では作りかね、七、八年木に向かって祈祷(きとう)した。これが元正(げんしょう)天皇のお耳に入り、大臣藤原房前(おとどふじわらのふささき)も聞いて、その協力のもとに神亀四年(七二七)、二丈六尺(約八・六メートル)の十一面観音像が完成した。すると徳道の夢に神が現れ、北の山の下の大岩を掘り出したその上に像を安置せよという。その後観音の霊験はあらたかで、震旦(中国)までも利益を施した。今の長谷寺はこれである。

参考文献
「今昔物語」
巻十一の三十一

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  • 略縁起
  • 観音縁起
  • 藁しべ長者
  • 馬頭夫人
  • 登楼